読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自遊人 思いを書き綴る

枠にはまって生きるより自由に発信する生き方がいいね

日本の貧困は「降格する貧困」に近づいている。

hirokimochizuki.hatenablog.com

社会的責任とは まさに江戸時代 崩壊の現代版の様に企業が国家を駆逐する時代

人間の知恵で食い止めることができるのであろうか? 


日本的特殊性は存在するか?

講演の最後に、ポーガム教授は自身の分析枠組を日本に適用し、日本における貧困の形態について論じました。

日本の戦後を2つの期間に分けることが、貧困の基本形態という観点から適当だと考える

高度成長期はマージナルな貧困の時代、1990~2010年代は降格する貧困の時代とそれぞれ言うことができるのではないか?


高度成長期の貧困はマージナルな貧困であった

高い経済成長率と完全雇用に近い状態。社会的保護のシステムも整備が進み、ジニ係数は非常に低い状態であった。

スウェーデンよりも低い時もあるほど不平等の少ない社会だった

自分の仮説では、この時代、集合的意識の中で「貧者はいない」と皆が思っていたのではないか?

そこでは非常に特別なケースだけが貧者であると知覚されていたのではないか?

1990年代以降は状況が変化し、降格する貧困の時代になっているのではないか?

賃金労働社会が危機に陥り、失業率が増加している。不安定雇用の割合が増え、労働市場がよりフレキシブルな形に変化している

他の国々と同様、日本でもネオリベラルな政策が採用され、「再市場化」という考え方が支配的になっている

貧困の存在が目に見えるようになり、ホームレスなどについても多く語られるようになる。貧困が国民の意識に入り込み、日常の一部となっている

多くの日本の人たちが自分もその貧困層になってしまうのではないかと考えている

貧困を自己責任と見るか被害者と見るか。議論の余地のあるテーマだが、ヨーロッパ人の私から見ると、

日本では「働くことは良いことだ」という「働く倫理」が強いように思われる。

「貧しい人は怠け者である」という烙印を押す傾向が強いのではないか?

他方、ヨーロッパの国々と同様、日本にも連帯する意識もあるのではないか。?

従って、ある程度抑制された形ではあるが、被害者として見る意識もあるのではないか?



結論

講演全体を振り返り、ポーガム教授は講演の要旨を2つの点にまとめました。

1)貧困の基本形態という分析枠組は様々な社会における貧困との関係を比較するのに役立つのではないか

2)日本は今のフランスやドイツに近いと言える。マージナルな貧困から降格する貧困への変化の途上にあるのではないか

個人的な振り返り

講演の内容は以上です。一見素朴でわかったような気になってしまう「貧困」という現象をどう捉えるか、

ポーガム教授が提唱する方法は貧困そのものを見るよりも、「貧者を含む社会全体が貧者との間に取り結ぶ関係のあり方を見る」というものでした。

その方法論こそがポーガム教授の研究のエッセンスだと思うので、ぜひそのことがこの記事から伝わればと思います。

モデレータの川野准教授がおっしゃっていましたが、日本の貧困研究は他国に比べて進んでいるとは言えない状況のようです。

講演冒頭でポーガム教授が問題提起した数的な貧困線の調査についても、日本では民主党政権時にようやく始められたばかりです。

それから相対的貧困率、子どもの貧困率といったものについて具体的に議論することが可能になり、また少しずつ議論が広がり始めた段階と言えるかもしれません。

しかし、ポーガム教授のフレームワークは貧困についてさらにその一歩先を見据えるものです。

日本社会は自らの内なる貧者との間にどのような関係を取り結んでいるでしょうか。

生活保護や失業保険年金といった制度的な関係だけでなく、貧者をどんな視線で見つめるか、貧者がどんな経験をしているか、深く考えたことがあるでしょうか。

世界の中で同じ時代に存在し、似たような苦境に直面していても、国や社会のあり方によって貧困のあり方は異なります。

そこには必然や抗いがたい流れがあるだけではなく、今の社会のあり方を意識的に理解することを通じて変えていける部分もあるはずです。

講演後のQ&Aでポーガム教授もおっしゃっていましたが、降格する貧困への移行に伴って、中間層から脱落した人々がむしろ強い権力を求め

、労働者のための政党であるはずの社会民主主義的な政権下でむしろネオリベラルな政策が推進されていく、

ここ20~30年ほどの間に起きているそうした世界的な潮流の存在は明らかだと思います。

ここ日本においても時に「活躍」というポジティブな言葉の装いを伴いながら、できるだけ多くの人を労働による自立へと移行させつつ、

同時にその労働のあり方自体はどんどんと不安定化していくという流れが眼前で進行しています。

働き方の柔軟化、多様な働き方の推進はとても重要ですが、それが生活基盤となるはずの労働の不安定化と表裏一体だとすれば手放しで喜ぶことはできません。

いずれにせよ、ポーガム教授の診断の通り、貧者の存在はここ日本でも社会のごく一部を占める周辺的な現象

、マージナルな存在であることをやめ、ホームレス、ネットカフェ難民ワーキングプアなど様々な形をとって社会に偏在するようになっています。

いま一度私たちの社会のあり方を問うきっかけとして、このタイミングでポーガム教授の言葉が聞けたことに改めて感謝したいと思います。