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自遊人 思いを書き綴る

枠にはまって生きるより自由に発信する生き方がいいね

最近の人間事情

最近の日本国民の人間事情

弱者が弱者を叩く! 上から強者が面白く見ている。公者が笑っている。

中小企業が憂いている。 大企業がほくそ笑んでいる。政治家がニヤついている。

零細企業が泣いている。個人企業がニッチなサービスを探している。

公者が公金をたかる。企業が社員(従業員に)サビ残をたかる。大企業が下請けにたかる。

議員が政務活動費にたかる。国が国民に税金をたかる。NHKが受信料をたかる。

東電、関電、四電 九電 が国に原発をたかる。

HIVやカネミ 学習能力がない者や責任を取らない者には政治を任せない様に

etc、etc こんな国に誰がした。?

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企業の内部留保

労働分配率 の低下を麻生副総理が苦言   しかし

企業献金を貰っていては「何をか言わん」と言う事です。

芝居じみた発言で低所得者の味方のように振舞うのは卑怯ということです。

怒っているのは国民である。政府側の立場で怒ること自体 国民を馬鹿にしているのか?

苦しむのは低所得者 大企業に勤める社員や公務員は優遇されているが

中小企業 零細企業 個人企業は泥水を啜る状態である。

そんな低所得者が大半である。本気度を見せて欲しいものである。

business.nikkeibp.co.jp

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学歴について

自分自身 学歴については如何ともし難い思いがあるが

さりとて必要以上には考えていない。

さてさて、世間ではどのように考えているのか?

学歴偏重によるリスク自体が増えつつあるのは明らかだが・

学歴を人生の成功や失敗の責にするのは如何なものか・と言う事だろう。

http://news.yahoo.co.jp/feature/403


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「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える

www.huffingtonpost.jp



Yoshihiko Shugo · 自営業 小説家

予算が潤沢にあれば、全員に寄り添った医療も可能でしょう。
問題は、健康保険制度が崩壊寸前であるということ。
大規模な構造改革により、どこかを削減する必要があるがのは自明のことではないでしょうか?

今回の記事には、「では、どうするのか?」という視点での意見が一つも見当たりません。
人の批判をするだけなら誰でもできるでしょう。
長谷川氏の意見が暴論だというのであれば、筆者はどのように健康保険制度を維持していくのか具体策を提示しなければフェアでないだけではなく、無責任の誹りは免れません。

「Yoshihiko Shugo · 自営業 小説家に反論」

自分が感じたことを述べているだけ。

健康保険制度の問題が出ているが
それとこれは別問題として考えた方が
いいと思う。対案を用意しないと・・は一般人が考えることではなく・・

ちなみに対案は保険制度を熟知していなければ出せません。
これは一般国民にはかなりハードルが高く
公的機関や専門機関と同レベルの知識が必要になってきます。
対案を出したところであまり意味がないと思うが
保険制度の限界にしても本当に限界かどうか?
収支を完全に理解しないと ムダや浪費が
あれば当然、維持ができないだろうし・
崩壊と言っているのは誰?厚労省
保険制度を維持できる具体案が示されても
それに纏わる利権や権益が邪魔をしてできないことだってあるだろう。

まぁマスコミや公的機関に隠されていては一般人には解らないことだらけで
真実は常に闇の中か?(笑)

沖縄 機動隊員による土人呼ばわり

世間的にはSNSなどで日常使われている 土人 という言葉

違和感がない程使われていて言葉遊び的な使われ方だが

機動隊隊員が使うと洒落にならない。

今、ヘイトスピーチが問題になっているにも関わらず

浅はかとしか言えないが まぁ弁護するならば

使われ方は時代や年代によって異なるので

目くじらを立てていうほどではないかも知れないが

それにしても間が悪いというか 思慮が足りないというか?

しかしそれが人間の本質だろう。 今、非難している人の中にも

言葉使い それも感情的になった時の言葉の使い方は

時として普段使わない 意味も深く考えないで言葉を使ってしまうものだ。

その機動隊員は、反省しているだろうか?それとも笑ってまだ土人と言っているだろうか?

おそらく後者の方だと思う。 何故ならその言葉の重みを知らないから・・

日本の貧困は「降格する貧困」に近づいている。

hirokimochizuki.hatenablog.com

社会的責任とは まさに江戸時代 崩壊の現代版の様に企業が国家を駆逐する時代

人間の知恵で食い止めることができるのであろうか? 


日本的特殊性は存在するか?

講演の最後に、ポーガム教授は自身の分析枠組を日本に適用し、日本における貧困の形態について論じました。

日本の戦後を2つの期間に分けることが、貧困の基本形態という観点から適当だと考える

高度成長期はマージナルな貧困の時代、1990~2010年代は降格する貧困の時代とそれぞれ言うことができるのではないか?


高度成長期の貧困はマージナルな貧困であった

高い経済成長率と完全雇用に近い状態。社会的保護のシステムも整備が進み、ジニ係数は非常に低い状態であった。

スウェーデンよりも低い時もあるほど不平等の少ない社会だった

自分の仮説では、この時代、集合的意識の中で「貧者はいない」と皆が思っていたのではないか?

そこでは非常に特別なケースだけが貧者であると知覚されていたのではないか?

1990年代以降は状況が変化し、降格する貧困の時代になっているのではないか?

賃金労働社会が危機に陥り、失業率が増加している。不安定雇用の割合が増え、労働市場がよりフレキシブルな形に変化している

他の国々と同様、日本でもネオリベラルな政策が採用され、「再市場化」という考え方が支配的になっている

貧困の存在が目に見えるようになり、ホームレスなどについても多く語られるようになる。貧困が国民の意識に入り込み、日常の一部となっている

多くの日本の人たちが自分もその貧困層になってしまうのではないかと考えている

貧困を自己責任と見るか被害者と見るか。議論の余地のあるテーマだが、ヨーロッパ人の私から見ると、

日本では「働くことは良いことだ」という「働く倫理」が強いように思われる。

「貧しい人は怠け者である」という烙印を押す傾向が強いのではないか?

他方、ヨーロッパの国々と同様、日本にも連帯する意識もあるのではないか。?

従って、ある程度抑制された形ではあるが、被害者として見る意識もあるのではないか?



結論

講演全体を振り返り、ポーガム教授は講演の要旨を2つの点にまとめました。

1)貧困の基本形態という分析枠組は様々な社会における貧困との関係を比較するのに役立つのではないか

2)日本は今のフランスやドイツに近いと言える。マージナルな貧困から降格する貧困への変化の途上にあるのではないか

個人的な振り返り

講演の内容は以上です。一見素朴でわかったような気になってしまう「貧困」という現象をどう捉えるか、

ポーガム教授が提唱する方法は貧困そのものを見るよりも、「貧者を含む社会全体が貧者との間に取り結ぶ関係のあり方を見る」というものでした。

その方法論こそがポーガム教授の研究のエッセンスだと思うので、ぜひそのことがこの記事から伝わればと思います。

モデレータの川野准教授がおっしゃっていましたが、日本の貧困研究は他国に比べて進んでいるとは言えない状況のようです。

講演冒頭でポーガム教授が問題提起した数的な貧困線の調査についても、日本では民主党政権時にようやく始められたばかりです。

それから相対的貧困率、子どもの貧困率といったものについて具体的に議論することが可能になり、また少しずつ議論が広がり始めた段階と言えるかもしれません。

しかし、ポーガム教授のフレームワークは貧困についてさらにその一歩先を見据えるものです。

日本社会は自らの内なる貧者との間にどのような関係を取り結んでいるでしょうか。

生活保護や失業保険年金といった制度的な関係だけでなく、貧者をどんな視線で見つめるか、貧者がどんな経験をしているか、深く考えたことがあるでしょうか。

世界の中で同じ時代に存在し、似たような苦境に直面していても、国や社会のあり方によって貧困のあり方は異なります。

そこには必然や抗いがたい流れがあるだけではなく、今の社会のあり方を意識的に理解することを通じて変えていける部分もあるはずです。

講演後のQ&Aでポーガム教授もおっしゃっていましたが、降格する貧困への移行に伴って、中間層から脱落した人々がむしろ強い権力を求め

、労働者のための政党であるはずの社会民主主義的な政権下でむしろネオリベラルな政策が推進されていく、

ここ20~30年ほどの間に起きているそうした世界的な潮流の存在は明らかだと思います。

ここ日本においても時に「活躍」というポジティブな言葉の装いを伴いながら、できるだけ多くの人を労働による自立へと移行させつつ、

同時にその労働のあり方自体はどんどんと不安定化していくという流れが眼前で進行しています。

働き方の柔軟化、多様な働き方の推進はとても重要ですが、それが生活基盤となるはずの労働の不安定化と表裏一体だとすれば手放しで喜ぶことはできません。

いずれにせよ、ポーガム教授の診断の通り、貧者の存在はここ日本でも社会のごく一部を占める周辺的な現象

、マージナルな存在であることをやめ、ホームレス、ネットカフェ難民ワーキングプアなど様々な形をとって社会に偏在するようになっています。

いま一度私たちの社会のあり方を問うきっかけとして、このタイミングでポーガム教授の言葉が聞けたことに改めて感謝したいと思います。